教育天声人語
小津作品と学校選択

   映画の世界で真逆と言えば、小津安二郎と黒澤明の作品ではないだろうか。小津安二郎は、家
 族という小さな世界にこだわり、一人ひとりの日常を静謐に描く。12月恒例の漢字一文字で表せ
 ば、「静」である。
  一方黒澤明は、志村喬が市民課長を演じた「生きる」のような作品もあるが、多くは大きな出来
 事を扱っている。画面も音響も騒々しい。小津安二郎の「静」に対して、「動」以上の「乱」か。
  山田洋二監督が、小津作品について面白いことを言っている。「小津作品は大したことは何も
 起きない。≪ある日、娘が嫁に行った。父親は淋しかった≫これだけで映画ができている。誰か
 が結婚に反対したわけではなく、ほかに恋人がいたというのでもなく・・・・・・波瀾はさらさらない。
 波瀾に富んでいることが大事なのではなく、淡々とした日常が大事というのが、小津哲学ではな
 いか」
  この文章に出会ったとき、保護者は学校選択では「黒澤明」が好きなんだとひらめいた。派手な
 コース名、ユニークな入試、6年間の特待生制度、大勢のネイティブ教員、先進的なICT環境、
 週40時間授業、20時まで開放の自習室、きれいなカフェテリア・・・・・・。要するにインパクトがあ
 ることに目が向いている。
  ふだんの日々をどのように過ごしているのか、保健室にはどんなことで訪れているのか、思春
 期の心・体の揺れ動きにどう配慮しているのか、人間関係作りにどう心を砕いているのか・・・・・・
 案外そうしたことには関心が向いていない。
  以前、転職した人がこんなことを言っていた。「転職がうまくいくかどうかは、<報>(外から
 わかる「会社四季報」的な条件)ではなく、<情>(職場の人間関係)なんですよね」
 学校選択も、小津的な部分が実は大事なのではないだろうか。

「ビジョナリー」2018年12月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

(c)安田教育研究所 無断複製、転載を禁ず