教育天声人語
3番目の時計

 遅刻してくることが多く、教員室でも問題児扱いされている生徒がいた。担任は、彼女が持た
れているイメージを払拭したくて、ある日の放課後、誰もいない理科実験室に呼び出した。
「あなた、どうしてこんなにも遅刻が多いの?」「すみません。目覚ましはかけているのですが、
無意識のうちにスイッチを押してしまうようで、目が覚めるといつも遅刻する時間になっている
んです」「お母さんは起こしてくださらないの?」「母は仕事を持っていて、朝早くに家を出て行く
んです」「それじゃあ、もうひとつ目覚ましをかけるしかないわね」「2つ目もベッドの脇に置いて
あるんです。でもそれも止めてしまうようで……」「じゃあ、もうひとつをベッドから離れたとこ
ろに置いたらどうかしら……」
 生徒は首をかしげながら、自信なさそうにうなずく。
「武士に二言はないわよ。先生が目覚まし時計を買ってあげるから、もう遅刻しないでね」
 先生は学校を終えるとデパートに駆けつけた。人気キャラクターのついた、売り場でいちばん
大きな目覚ましを購入した。
 が、デパートの包装紙のまま生徒に渡すわけにはいかない。包装紙のうえからさらに使い古し
た梱包用の紙で包み、翌日教員室の片隅でそっと手渡した。
「学校で開けてはダメよ。家に帰ってから開きなさい」
 翌日、生徒は定刻に登校してきた。その翌日も、その翌日も・・・・・・。
 その生徒の担任は高1で終わり、校内で時折顔を見かける程度で、接触がなくなった。
 それから10年以上経ったある日、結婚披露宴の招待状が届いた。
 「高1の担任だった私にまでなぜ?」と思ったが、どんな風に成長しているのだろうと興味があ
り、出席した。席には小さなメッセージカードが置かれていた。
『3番目の時計を、嫁入り道具に持って行きます』

「ビジョナリー」2010年5月号掲載     |もくじ前に戻る次に進む

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