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海外の地名で、もっとも心を震わす地名を挙げろと言われたら、私にとってそれは「プラハ」で
ある。民主化運動を「アラブの春」というように表現するが、その嚆矢が「プラハの春」であった。
1968年1月、ドゥプチェクがチェコスロバキア共産党第一書記に選出され、「人間の顔をした社
会主義」を掲げた「プラハの春」と呼ばれる改革運動を始めた。が、それに対して、ソ連をはじめ
とするワルシャワ条約機構加盟国は社会主義の危機と感じ、8月ソ連軍を中心とする戦車部隊が」
プラハに侵攻した(チェコ事件)。ドゥプチェクら改革派を逮捕してソ連軍の輸送機でモスクワに
連行し、改革運動は弾圧された。そのときの抵抗運動の象徴的な場所が、ヴァーツラフ広場であ
る。その日、国営放送は国歌、スメタナの「モルダウ」を流し続けるのみであったという。
それから30数年後、会社を早期退職して時間ができた私は、海外に出かけたくなった。が、英
語ができないからパック旅行しかない。で、選んだのが、ハンガリー・チェコ・オーストリアの
コース。プラハでの自由時間、真っ先にヴァーツラフ広場に向かった。広場と言っても大きな通
りだったので、南端の国民博物館まで足の裏でかみしめるように歩いた。
ユーチューブであるが、今でも時々深夜一人で「モルダウ」を聴いている。
感性が鋭敏な時代は、遠い世界の出来事でも内面に大きな影響をもたらす。ちょっとした経験
が、その後の人生を味わい深いものにしたりもする。学校はスキルやリテラシーを身につける場
だけではないのである。
どんなことがどんな影響を生徒にもたらすか、それは先生方の想像を超えたものであるはずだ
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